About

Shin Ito

1962

三重県出身。高校卒業後、コーセー化粧品販売(株)勤務。
化粧品小売店のルート営業を担当。
新規取引店開拓で6年連続営業コンテスト入賞(全国1位4回)
優秀セールスマン賞連続受賞などの記録樹立。

1992

長男の誕生を契機に「仕事と人生に誇りを持った父親」を志し、独立
(現在、高校生から4歳まで4人の父)。
当時、極度のあがり症と赤面症であったが、実演販売業界に挑戦する。
職域販売で延べ2000回以上、
総額5億円超の実演販売を経験すると共に、高額・付加 価値の高い商品を
「初対面・ワンチャンス・15分」で説得する独自の販売シナリオを開発する。
自らプロデュースした営業シナリオでの売上げ総額は50億円を超える。

2002

営業専門コンサルティング会社設立。
表紙カバーに名前をオーダーで印刷できる「カキコミBOOK」を開発し、
16万冊超のベストセラーとなる。

2004

講演・執筆活動開始。
圧倒的なパワーと絶妙な笑いで、会場全体を瞬間的につかむ
講演スタイルが評判となり、年間160本を超える依頼が殺到する人気講師となる。

2005

経済産業省後援「ドリームゲート」の年間推奨講師となり、全国のイベントで講演。
参加者アンケートにおいて満足度98%という絶大な高評価を記録。

2006

武蔵野学院大学客員教授に就任(国際コミュニケーション学部)。
モチベーションビルダーを名乗り、全国の自治体や企業、学校法人の依頼で
講演・研修講師を務める。

2009

武蔵野学院大学大学院
国際コミュニケーション研究科国際コミュニケーション専攻 修士課程修了。

いとう伸物語

A story of Shin Ito

都心にそびえ立つ外資系高級ホテルの豪華な講演会場。

きらめくスポットライトを浴びながら、いとう伸は千名を超す観客の前に立つ。

『モチベーションビルダー』
『50億円を売り上げた実演販売プロデューサー』
『出会った瞬間に相手の心をつかむ男』

観客の期待感が臨界点を迎えたその時、圧倒的な存在感でいとう伸は語り始める。

瞬く間に会場は爆笑が巻き起こり、次第に深い共感が聴衆全体に広がっていく。
年間講演回数160回超。
圧倒的な満足度の高さと業界トップのリピート率を誇る人気講演家である。

いとう伸は、三重県四日市生まれの47歳。

高度経済成長が始まった頃、平凡を絵に描いたようなサラリーマン家庭に生まれた。

現在のイメージからは想像もつかないが、幼稚園の頃から赤面性とアガリ性をもつ。
他人の視線を感じただけで顔が真っ赤になり冷汗が噴き出す始末だ。

思春期を迎えたいとうは地元工業高校に進学する。
当時、中高生の非行が社会問題になりつつあったが、
その中でも地元工業高校は荒れている学校の代名詞であった。

入学して間もなく強さへの憧れから不良グループに加わる。

しかし所詮、不良の格好だけ真似してみても元来の小心者。

ケンカは弱いというよりやる勇気がない。
それを見抜いたメンバーからイジメの対象となり、暗黒の日々を過ごす。

やがてリーダー格が次々と退学処分となり執拗な暴力からは開放されたものの、
いとうの心にはかけらの抵抗もできない、微塵の勇気もない、
弱い自分への劣等感が重く刻まれた。

高3となり就職を意識した頃、弱い自分を生まれ変わらせるには
強引に環境を変えるしかないと奮起する。

全国転勤がある会社を選び、
工業高校から奇跡的にコーセー化粧品の総合職に合格する。

入社後、勤務地は大阪と決まった。

いとうは企画営業の仕事を希望していた。

理由は、カッコ良く、スマートに、スーツ姿で
若くして社会的に成り上がりたかった。

ロック歌手の矢沢永吉の自伝「成り上がり」の生き方に
自分を重ねて強く憧れていた影響もある。

希望叶わず配属先となった商品管理部の上司に幾度となく
「営業部への転属」を直訴した。

しかし、工業高校卒業したての無知な男に上司は冷たく告げる。
「そのパンチパーマで営業なんて甘すぎる、もっと勉強することだ」

今日辞めようか明日辞めようかと2年が過ぎようとした頃、
偶然の欠員があり営業部へ登用される。

意気揚々と営業の仕事に飛び出すが現実は想像以上に厳しかった。

当時の化粧品業界はトップの資○堂、二番手のカ○ボウ、
そして、かなり離されて三番手にコーセーがいた。

ブランド力、ヒット商品、営業支援力すべてに大差がある
上位2社に混じって成績を挙げるには、得意先の薬局や化粧品店に
商品在庫をたっぷり持たせること。

それはある意味、口八丁手八丁を駆使しての押し込み営業である。

実際、得意先の不満は溜まりに溜まっていた。

いとうが得意先を訪問すると、店主は険しい表情でダンボール箱に詰め込んだ返品を指し示し、
『いいかげん返品持って帰ってよ。売れもしない商品ばっかりで在庫の山や。
なんなら全商品持って帰っていいからっ』

行く店、行く店から、返品、返品、返品の連呼。

いとうは、噴出す汗を拭い、顔を真っ赤にして、すいません、すいません、と連呼する。
あるとき「すいません」を数えてみたら1日の訪問で100回を軽く超えたという。

しかし、絶対に返品を持ち帰ることなどできない。
上司の執拗な叱責と売上げ目標未達成の責任追及が怖いからだ。

毎日、得意先と会社の板ばさみで、胃はキリキリ痛み、神経性の下痢は慢性化し、
頬はこけて目の下にはクマがクッキリ。

楽に成り上がれると憧れていた営業の仕事は、知的でカッコいいどころか
肉体労働で泥臭い仕事だと思い知らされた。

そんないとうにも楽しみがひとつあった。
ライバルながら羨望の存在でもある資○堂に勤める女性と付き合っていたのだ。

ひとつ年上の彼女。20歳のいとうの心のオアシスだった。

田舎者の彼にとって彼女の振る舞いはまさに大人の女性だ。
そんな彼女と過ごす夢のような時間。仕事での疲れが一気に吹き飛ぶ。

いとうは夢を語る。
彼女が微笑む。
いとうは顔を真っ赤にするが、それは嬉しい気持ちからくるものだ。

ただ、そんないとうの幸せも長くは続かなかった。

『ごめん、結婚することにしたの・・』

晴天の霹靂とは正にこのことだった。

なんと自分だけと付き合っていると思っていた彼女は、
資○堂を扱う有力販売店の御曹司でもある10歳年上の営業マンと婚約したという。

「まただ・・・」いとうは、つぶやいた。

実はこれにそっくりの辛い仕打ちを1年前に受けたばかりだった。

違うのは彼女と奪った男の勤務先だけだ。
前回の彼女をさらっていったのも彼女の上司で10歳以上年上の営業マンだった。

あまりの仕打ちに口をパクパクさせるだけのいとう。
混乱してしまい、どんな言葉で対応したらよいのかすら分からない。
ただ、少しでも別れを引き伸ばしたい。

その一心で半ば強引に彼女を車で自宅まで送ることにする。

途中、理不尽極まる仕打ちへの怒りよりも自分の情けなさに嗚咽をあげ、 涙を流し続ける。
やがて彼女の自宅が近づく・・・だが、思いつく言葉はみつからない。

彼女が車から降り、ごめんね・・あっけなく恋愛物語の幕は下りた。

ヨロヨロと走り出した車のバックミラーに映る彼女の姿がだんだん小さくなっていく。

その姿がついに映らなくなったとき、突然全身が震え出し
どうあっても車の運転ができなくなった

いとうは路肩に停めた車の中で泣き続けた。
「なぜいつも年上の男に負ける。オレには、勇気も、金も、包容力も、なにもない」

1時間以上泣き続けた。
しかし、倒したシートにもたれかかる体にまったく力が入らない。

「このままじゃおれ、ダメになるな…」そう思ったとき、
彼の脳の中で泣き疲れてぐったりしている自分の姿が鮮明に見えたという。

まるで幽体離脱してもう一人の自分が自分を見下ろしているような感覚。

ハッと我に返る。

このままでは終われない。

気力を振り絞って座席のシートをひき起こし、力の限り叫んでみた。

幾度も幾度も泣きながら叫び続けた。
沈黙すればまた体中の力が抜けていく恐怖があった。

翌日、平静を装い、いつものように仕事をこなす。
ただ、胸には青白い炎がメラメラと灯っていた。

どんなことをしても、品格高く、オシャレで、知的で、落ち着いた、
誰をも魅了するような、金と力を持った営業マンになってやる。

それは二度に渡って彼女を寝取った年上ライバルへの
猛烈な闘争心が生まれた瞬間であった。

いとうは、自分の仕事を見つめ直すことにした。

販売店に無理な在庫を増やしてまで成績を挙げることがとても嫌になってもいた。

販売店とは担当して初めの頃こそ一日中「すいません」
を繰り返すような関係性だったものの、休日返上で店頭の掃除や
装飾に汗を流す熱心な営業姿勢が認められて良好なものとなっていた。

しかし、既存の販売店に頼っていても大きな飛躍は
いつまでもやってこないのが現実である。

ある時、いとうは営業マンから「いとう商店」の社長になったつもりで
担当エリアを改めて分析してみることにした。

競合他社の販売店の分布から売り上げまでを調査して白地図に描き出してみる。

知っているつもりだったが、「見える化」した市場は呆れるほど自社のシェアが低かった。

今度は、「いとう商店」の経営状態を「見える化」してみる。
売り上げに対する営業所の粗利を聞きだし、
営業活動経費と自分の人件費の概算を差し引いてみた。

愕然とした事実がそこにあった。
「いとう商店」は恒常的な大赤字だったのである。

おかしい・・・休日返上でこんなに忙しく動き回っているのに。

疑問にかられて今度は自分の一ヶ月の活動内容を項目別、
訪問先別に費やす時間で分類し、売上げを重ねて「見える化」してみた。

すると、生産性の低い非効率な行動が至るところに溢れていた。

答えは決まった。

既存の業務を効率化し、勇気をもって訪問活動を見直すことで時間を生み出そう。
そして、その時間すべてを新規開拓の飛び込み営業に費やそう。

新規の店を開拓できれば、だぶつく市場在庫を回すことができるから、
既存の販売店の利益にもなる。さらには、新規店を増やし続ければ、
常に売上げ対前年比で優位にたてるから営業コンテストの常連となる可能性が高くなる。

もちろん簡単なことではない。
訪問しても訪問しても門前払いの連続である。
毎日毎日、何度も何度も断られる。

それでもいとうの心はくじけない。

彼女を奪われたライバルへの怒りから始まったことではあるが、
いまはそれに加えて自分で調べて自分で見つけ出したテーマがある。

なによりも営業マンとしてやらされているのではなく、
「いとう商店」の社長として自分の意志でやっているのである。

営業の活動量も活動内容も格段に厳しくなっているにも関わらず、
いとうに疲労感はなかった。

とにかく、成果が出なくてもいとうは諦めずに訪問活動を続けた。
片っぱしから目に付いた店舗への新規訪問を繰り返した。

店舗が閉店する時間となりぐったりした身体で、もうそろそろ会社へ引き上げよう・・・
と決めて車を走らせてから思い直し車をUターンさせ、
もう一件新規店を訪問することを日課とした。

初対面の相手を理解しよう、相手の気持ちの動きを読み取ろう、
地道な行動を続けた結果、いとうの脳には膨大な人間観察と
人間洞察のデータベースがどんどん出来上がっていった。

目の前の店主の悩みは何か、役に立つにはどうしたら良いのか、
どんな判断基準を持ち、どんな行動傾向があるのか。

ところで技量とは定期預金に似ているところがある。

普段、コツコツ積み立てていても手ごたえはない。

しかし、満期という臨界点を迎えたとき、
一気にそれまで積み立てた総額が引き出せるのである。

いとうの場合は、初めての新規契約まで2年間300回の訪問を数えた時、
ついに満期を迎えたのである。

相手の店主は微笑みながら、いとうにこう告げた。
「いとう君に任せるよ」と。

新規店ができると実はそれからが大変だった。

店舗改装、納品、オープニングセール、チラシ作製、景品手配、街頭配布、ポスティング、
販売員手配、商品の教育、リピート企画と、寝る時間を削っての業務が毎日続く。

「売れます!」大見えを切った説得が大ボラに終われば次のチャンスはない。

汗を流し、知恵を振り絞って必死に新店で売り上げを作る。

限界を超える負荷は、それが強いられた望まないものでも
自身のポテンシャルを高めるが、自ら積極的に挑んだ場合はさらに
飛躍的な収穫量が短期間で得られる。

連続しての新規契約とオープニング経験によって自分の限界を超え続けた
いとうの語りは圧倒的な説得力を身につけた。

それからが社内いとう伝説の始まりだった。

全国の営業マンの中で6年連続コンテスト入賞。
うち4回は全国一位という偉業を達成する。

常に冷や汗を流し「すいません」が口癖だった小心な営業マンは、
わずか3年で別人に変身した。

社内で、トップ営業マンのいとうは肩で風切る。
その言動は常に自信に満ち溢れている。

しかし、そんないとうにも苦手なことがあった。

スピーチである。赤面性のいとうは人前で話すのが本当に苦手であった。

営業コンテストの表彰式は年に一度、毎年1月に都内ホテルの一番広い会場で行われる。
全国一位のいとうはスピーチをしなければならない。

数え切れない飛び込み営業を経験したことで、
1対1の営業シーンでの赤面性はなんとか克服できた。

しかし、大勢の前で話すことは赤面性のいとうにとって
精神的な拷問に等しい行為であった。

壇上のいとうは、顔を真っ赤に紅潮させて、手はブルブル膝はガクガク震えている。
顔面は霧吹きで吹き付けたように汗でびっしょりだ。
司会者が紹介すると会場から拍手喝采が起こる。

当然だ、いとうは社内のスターなのだ。

しかし、いざスピーチが始まると一気に聴衆は
すべるお笑い芸人を見ている様な雰囲気に一変する。

いとうのスピーチはスピーチといえるシロモノでは無かった。

心臓が飛び出すような緊張の中、喉はカラカラで張り付き、全身汗だく、
赤面はピークに達し、パニック状態でスピーチを終える。

会場に微妙な拍手が起こる。
しかし、いとうにはその拍手が憐みの拍手にしか聞こえない。

劣等感と恥ずかしさでヨレヨレになりながら自席に辿り着くと
隣の部長が声を掛けてくれた「・・・伊藤、良かったよ。」と

小さく頷きながらも心の中では「嘘つけ!!!」と思わず叫んだ。

自尊心はズタズタ、黙ってうつむき、奥歯をぎゅっとかみしめ、
自分の弱さ、勇気の無さ、小心さに、ただただ苦悩するばかりであった。

29歳のとき、いとうは11年勤務した会社を寂しく去る。

いとうは6年連続入賞というスーパー営業マンであったが、
給料は営業成績がまるでダメな大卒の同年齢社員よりも低かった。

社歴は4年長くても高卒と大卒では当時、給与基準に根本的な差があったのである。

わずかな金額の差の問題よりも、自分が正しく評価されていない・・・
という被害者意識がいとうの心に蓄積していった。

さらに、新店を増やしすぎたために仕事量が限界を超え、
激務とストレスから十二指腸潰瘍を発症し、下血して救急病院に担ぎ込まれる。

大量輸血で一命を取り留めたもののそれから2年あまり
さまざまな体調不良に悩まされる。

命を落としかけるほど頑張っているのに・・・

職場復帰してからも言いようのない不満は心の奥底に澱のように溜まっていった。

そんなとき、妻が懐妊する。

医者から不妊体質だと宣告されて諦めていたので喜びよりも驚きの懐妊だった。

その時、いとうの内面にフツフツと熱いものが湧き上がってきた。

「このままでは生まれてくる子どもに胸を張れる父親になれない」
まるで何かが憑りついたように興奮して、いとうは退職を決意する。

しかし、退職願いを提出してからの毎日、11年間積み上げた
これまでの実績への執着とそれら失う恐怖に怯え続けた。

その後、上司の説得でまさかの退職願い撤回を申し出る。

一貫性のない自分のみっともなさに恥入るものの、
いとうの小心な心は生ぬるい安堵感に包まれた。

しかし一度退職を口にしてからいとうの内面で何かが変化した。

その数ヶ月後、惰性でこなす仕事にどうしてもモチベーションが見いだせず
再度の退職願いを提出する。

今度は上司からも同僚からも呆れられ、ひとり寂しく自分の私物を片付けた。

数々の栄光は地に落ち、我が儘で優柔不断な脱落者に成り下がった
過去のヒーローに周囲の態度は冷淡だった。

ついに会社からも同僚からも送別会の誘いはなかった。

退社してはじめた仕事は、知人と共同経営の実演販売の代理店だった。

えっ実演販売?人前で短いスピーチすらできないのになぜ?と思われるだろうが、
背景には求人情報誌片手に営業職の採用面接に臨んで思い知らされた
自分の市場価値の低さという現実があった。

前職以上の年収など夢のまた夢で、ものすごい価値だと思い込んでいた社内表彰の賞状や
数々の営業武勇伝を面接で得意げに披露しても面接官の反応は全くの期待外れだった。

落胆したいとうは失意の中、転職を諦めた。

結果、社内トップセールスのプライドを守るためと
見栄を張るには「独立」しか選択肢がなかったのだ。

そうして知人のコネを頼って「独立」とは名ばかりの保障無し完全歩合セールスを
逃げ出したくなるほどの不安とともに始めることになったのである。

さて、その実演販売とはセールスプレゼンテーションを行う許可を
事前に取得した企業の職場で15分の商品説明を行い、
その場でクロージングするというものだった。

BtoBの世界しか知らない営業マンが、いきなりBtoCの
難易度最高レベルの世界に迷い込んだ衝撃は想像を超えていたという。

初めての営業同行でいとうの軟弱な決意は脆くも崩壊する。
「無理だ・・できっこない」

思い出してほしい。

赤面性で極度のアガリ性、人前でのスピーチでトラウマを抱えるいとうに、
初対面、聴く姿勢最悪、そんな状況で大勢の前で商品説明するなどできる訳がない。

ましてやその場で売るなど不可能である。

コーセーでトップセールスだったとはいえ、所詮大企業のブランドに
助けられてのルートセールスである。

1000円の化粧品ですら自分ひとりでは売った経験がないのである。

ノーブランドで十数万円もする、なくても全く困らない健康器具を
初対面の大勢を相手に数十分で売るなど、魔法使いでもなければできない芸当だ。

しかし、背伸びして購入した住宅ローンを抱え貯金ゼロ、
家族は乳児と専業主婦という状況では、前に進むしか選択肢はなかった。

実演販売には、完全な台本がある。

実演販売の教育担当者が繰り返し力説することは、
この台本どおり一語一句一挙一動まで完璧に演じれば必ず売れるようになる、
ということだけ。

退路を断たれ、選択肢もない状況に追い込まれたいとうは、
これまでの人生で一番勉強したという。

自分の低い記憶能力に歯ぎしりしつつ、長い台本を暗記する。
身振り手振りや小道具を使うタイミングの演技練習を繰り返した。

そして3か月後、いとうにとって生まれて初めての実演販売の日がやってきた。

しかし、人生を賭けたつもりの周到な準備をあざ笑うように心臓は早鐘を打ち、
緊張で筋肉は固まり、汗ダク、顔は真っ赤に赤面している。

いよいよ出番が来た。
いとうは覚悟を決めて話し始めた。

すると・・・声が出るではないか、セリフが口からポンポン滑り出る、
手が別の意思を持ったかのようになめらかに動く。

なんと、驚くことに目の前の人たちが真剣に聞き入っているではないか。

ウケを狙うシーンでドッと笑いが生まれる、相手の瞳が興味で膨らんでくる、
なによりも自分が場を仕切っている事実に驚愕した。

ただ、顔面から滴り落ち続ける汗の量は尋常ではない。

そんな状態のいとうを見かねた中年女性の客が自分のハンカチを取り出して、
いとうの顔の汗を拭きとってくれる。

そんなすべての光景が上空2メートルの視点からくっきり見えたという。

そう、その瞬間いとうは大失恋以来、人生二度目の幽体離脱を体験していたのだ。

結果、1台が売れた。

買ってくれたのはハンカチで汗を拭いてくれた客だった。
1台売れるのと、全く売れないのとでは天国と地獄くらいの大きな違いがある。

いとうは、1台売った、という何事にも代えがたい成功体験から
一気に実演販売の世界にのめりこんでいく。

初対面の相手に実演販売する仕事でトップセールスになるためには
どうしたらいいのか?

もちろん、商品の価値を100%で表現できるパフォーマンスは大前提である。

しかし、客の大部分は職場で繰り返される同業他社による実演販売で
巧みな話術には慣れている。

上手く表現できたから相手の心に届くわけではない。

つまり、方程式にすればこうだ。
伝わる総量=表現量×共感量。表現量を限界まで高めるには、
実演できる持ち時間が一定(15分)なので質を高める以外ない。

質の構成要素は、声・表情・全身・目である。

それらをフル動員して最高の表現をする人物といえば・・・、藤山寛美さんだ。

いとうは、小学生の頃より松竹新喜劇のファンであった。
あの顔芸、変幻自在の間を駆使してのしゃべりをイメージして、
吉本新喜劇のスピード感を身につけよう。

さて、次は客との共感量を最大化しなければならない。

このときBtoBのルート営業時代に培った、飛び込み営業のキャリアが生きてくる。

いとうは毎日、飛び込み営業で化粧品店や薬局、手芸、ファンシーショップ、
クリーニング、ブティックなどを訪問してきた。

その間、一貫して継続してきたことがある。
それは相手のデータを集めることである。

家賃、売上げ、客単価、利益、商品知識、店主経歴、業界慣習、
家族構成などなど、とにかく相手の情報を聞き出す。

商売に関するデータと店主に関するデータを浅く広く集めることで、
相手の悩みや困っていること、改善できたら嬉しいことを感じられるようになる。

そうしたら、その解決につながるようなアイデアを一緒に考えることができるからだ。

いとうは、このデータ収集→商売理解→共に考える

という手順で飛び込み訪問を重ねてきた結果、ある時期、
データ収集しなくとも店舗と店主を見た瞬間、相手のことが手に取るように解り、
同時に解決策が浮かぶことを体得した。

つまり会った瞬間に、店主に重要感を感じさせることが出来たという。
この「つかみ」の流れを応用すれば、業界が変わっても、
客の属性が変わっても出会った一瞬で「共感」を生み出すことが可能だと考えた。

そこで、いとうは実演販売を行う会社を絞り込み、その会社に勤務する社員(=客)の給与から
業務内容、人事、業界用語までを理解し、客が消費者として生活する自宅に訪問して
オフの顔でのデータまでを徹底して集めたのである。

要約すれば「つかみ」とは、まずは相手のことを理解して共感できること。

とにかく自分の思い込みや感情に左右されることがないくらいに
徹底して相手の立場になりきることが大事だ。

それには、相手の時間と空間と意識をリアルに共有して体感することから始める。

実演販売を行う職場だけでなく、実際に商品を使う客の自宅に訪問して客を
観察、洞察することを繰り返す。
現在の『いとうメソッド』である「相手の立場に立つ営業シナリオ」の公式は
この時に完成された。

15分でワンチャンスの営業。

その後、いとうはその観察力・洞察力を武器に、2000回以上の実演販売を行う。

また、様々な商品の実演販売のシナリオ(台本・セールストーク)を
自ら書くようになり、そのシナリオで売り上げは50億円を越えた。

金がうなるように入ってきた。

しかし、その裏でいとうは無理に無理を重ねていたのである。

これまで自分自身に負け続け、年上の男に負け続け、
いとうは営業の世界をベースにして、自分を強く大きく見せよう、
よく見せようと常に精一杯の背伸びを続けてきた。

元来が小心で、臆病で、赤面性である。

小心であるがゆえにシーンが変わるごとに徹底した事前準備を行うことでしのいできた。

相手に自分の小ささを悟られたくない。
相手から認められたい。
一目置かれたい。

それは、ある意味歪んだ自己主張であったのかも知れない。

ただ、外面を良くしようとすればするほど、
その反動で家庭では我儘な言動が増え、些細なことで怒りの感情に襲われた。

さらには営業を追求する中で、事実を分析して確率を追求する効率絶対主義を徹底してきた結果、
家族との会話や生活においても無駄や非効率を指摘して強権的に指導するような性格となっていた。

当然、家族との関係は冷え切っていく。

会社が大きくなる、金回りが良くなるのと反比例して、家庭内の状況は悪化していった。

毎日のように妻といがみ合う。
家に帰りたくない気持ちを仕事に没頭することで誤魔化す。

次第に子どもにも悪影響が出てくる。

ついには、小学生だった長男の問題行動で学校から呼び出され、
長女には頻繁にチック症が表れてきた。

追い打ちをかけるように、様々な心身症的傾向が表れだした。
まるで負の連鎖はどこまでも続いているようだった。

いったい、自分は何のために稼いでいるのか、子どもを授かった時、
誇りをもって働いている姿を見せようと決意したではないか、俺もギリギリで
頑張っているには違いないが・・・、この時はほとほと悩み抜き、人生について考えた。

小心であるが故に虚勢を張る。

臆病であるが故に他人を攻撃する。

小さい器を無理に大きく見せようとして体を壊し、
今まさに家庭まで壊れようとしている。

いったい何のために虚勢を張り続け、何に怯えているのだろうか・・

そんな折、さらに試練がいとうを襲う。

営業にまったく身が入らなくなると実演販売会社の業績が悪化の一途を辿った。

売り上げは損益分岐点を下回り、ついにいとうは経営から身を引いた。

その別れ際はいつか見た風景にそっくりだった。

社員からは送別会も開かれず、ひとり寂しく身の回りの物を片付けた。

それから赤字の関連会社を譲り受け、ひとり奮闘するも借金は膨らみ続けた。

運転資金は底をつき、ついには個人のカードでキャッシングを繰り返し、
それ額だけでも一千万円を超えた。

まさに八方ふさがりで出口はないかのような時期だった。

しかし、徐々にいとうは絶望の状態から抜け出しつつあった。

負の連鎖で底なしのように思えた身の回りの問題にいつの間にか
解決の気配が見え始め、希望の光が差し始めていたのだ。

理由は間違いなく、いとう自身の変化だった。

理屈と効率で相手を修正しようと躍起になっていた時は
ことごとくうまくいかなかったのに、周囲に対して開き直って
素の自分を曝け出した頃から事態が好転し始めていた。

極限まで追い込まれたおかげで虚勢は無意味なものになっていたのだ。

小心者でいいじゃないか、肝っ玉など小さくてもいいじゃないか、
それでも俺は精一杯生きている。
自身の弱さを受容したいとうは何かが吹っ切れたように清々しさを覚えていた。

「絶望=望みが絶えて力尽きた人はたくさんいるが、
絶金=お金が絶えて亡くなった人はいない」いとうの口癖だ。

その後、事業が急にうまく回り始める。

リフレクソロジー、心理療法、飲食店、新たなビジネスパートナーと
共に一気に事業を拡大していった。

もちろん、いずれの事業でもいとうの役割は売り上げを作り出す現場での営業だ。

ルートセールス、新規開拓、実演販売、法人営業に続き、電話営業、そしてカウンター営業も
いとうの手に掛かれば最高の成約確率を稼ぎ出す法則を瞬く間に見つけ出す。

まさに総合格闘技ならぬ、総合営業技のトップアスリートである。

それから5年ほど順調に推移した事業だったが、
無理な事業拡大が原因でまたもや曲がり角を迎えることになる。

見栄で独立してから、次から次へと節操なく事業を展開し、拡張しては撤退の繰り返し。

絶金(お金が全くないクライシス状態)になると、
突然営業のアイデアがひらめいて借金返済の繰り返し。

ちなみに、16万冊、3億円超の売り上げと高い利益を生み出す
「カキコミBOOK」は、この2回目の絶金時にひらめいた起死回生の傑作である。

いとう伸の経営者としての才能は低い。
しかしながら、営業力には凄みがある。

ここで言う「営業力」とは、形があろうがなかろうが、
商品(サービス)の持つ価値をあらゆる角度から把握して表現する能力。

そして、それが目の前の人間のどのような役に立つのか、
どんな利益を生み出す可能性を持つのかを見出す能力。

言い換えれば、極めて幅広い人間心理を瞬時に理解して受け容れ、
相手に成り変ってミラクルハッピーなシナリオを創作する能力といえる。

40歳を超えたとき、いとうは懲りずに突然の啓示を感じる。

そうだ、東京へ行こう。東京で新たなる仕事を始めよう。
人生のステージをひとつ上げるには、強制的に環境を変えて
自分を追い込むのがいとう式である。

人脈など全くない東京に事務所とレンタルオフィスを借りた。

場所だけはこだわりがあった。

とにかく、赤坂と銀座だ。

無謀で無計画なチャレンジはスタートした。

ただ、当面の資金は潤沢だった。
大ヒットのひらめき傑作「カキコミBOOK」のファックス注文が
好調で数百万円の収益が毎月入ってきていた。

いとうは誘われて異業種交流会に参加した。

いとうメソッドでは、営業の交渉でもすべて「ぜひやりましょう!」
というスーパー肯定が基本である。

つまりなにごとも行動してから考えるのである。
見知らぬ東京での展開もこれがきっかけとなった。

結局、1年近くの間、金銭的には無報酬に近い形で
異業種交流会の研修や運営に参加した。

「金銭的には」という表現は、金銭以外の報酬が膨大なものだったからである。

自分より遥かに深く人間心理を洞察する主宰者から直々に多くの学びを得た。

さらには、研修・セミナーの運営センスを身に付けたことができた。

初めての講演もそこで経験する。

講演リハーサルで指導者から繰り返し言われたことは
「もっと自分自身をさらけ出しなさい。
いとうさん、ニセモノからホンモノに進化するのよ」

さて、初めての講演当日、決して繕うことなくこれまでの人生を語ることにした。

ただ、2000回を超える実演販売で身に付いたシナリオ構成と
パフォーマンスは封印せずに。

いとうは聴衆を前に全力で語り始めた。

ルートセールに始まり、法人営業、電話営業、飛び込み営業、実演販売、
カウンター営業、個人から中小企業、大手企業までありと
あらゆる業種業態を超えて積み上げてきたいとうの営業人生のすべてがその時炸裂した。

交流会参加者が目を見張る。

いとうの人生は抜群に面白い。
人の心を動かすのは肩書きや実績ではない。
人間性の成長度合いだ。

断わっておくが、いとうの人間性が高い位置にあるということではない。

限りなく低いところから行動を続けてやっと人並みのところまで
這い上がってきたという意味である。

いとうは数えきれない失敗を重ね赤っ恥をさらしながらも
行動することだけ諦めなかった。

その日の衝撃的な講演の噂は瞬く間に広がり、人が人を呼び、
いとうは一気に人気講演家となった。

さらに、営業指導、営業コンサルティングの依頼が続々と押し寄せた。

現在、中小企業、大手企業は勿論、商工会や大学、専門学校、
高校等にて年間160本の講演・セミナーをこなす人気講師である。

1000人の客の前でも10人の客の前でも、いとうの姿勢はまったく変わらない。

相手のモチベーションを引き出し、自らの役割を果たすことに全力を投じる。

いとうの講演スタイルは常にオーバーアクションに映るかもしれないが、
それは演出でなはなく、伝えたい気持ちそのものなのだ。

これまでのいとうの生き方は人の手本となるようなものではないだろう。

コメツキバッタのように毎日客に謝り、繰り返し彼女にフラれて仕事の鬼になる。

臨死体験するほど頑張ってトップ営業マンになるも学歴コンプレックスから離職。

アガリ性ながら実演販売に挑み一時的な利益に恵まれるのも束の間、
一千万円の借金を抱える。

その後も同様の失敗を繰り返し、遂に家庭の経営にも躓き、
開き直ったあとにようやく見えてきたもの。

いとうは言う。
40歳になってから、本当に楽に生きられるようになった。

自分に自信がない、常に他人の評価が気になる、
そんな小心者が延々と営業の仕事で行動を続けてきたからこそ体得できたことがある。

それは、徹底した他者視点。

相手の立場、気持ちに立って、相手のために何が出来るかとことん考え抜くこと。

そして、行動し続けること。
当たり前のことを徹底してやり抜いたからこそ、人に伝えられるものがある。

モチベーションビルダーいとう伸。
日本を元気にする行動は、今始まったばかりである。
いとう伸の自分への挑戦は終わらない。

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